
祭りは都市に笑顔をもたらす。
子どもたちは風船を見て手を振り、観光客は音楽と風にのって束の間の日常を忘れる。しかし、どれほど華やかな祭りでも市民の安全が優先されなければならない。
華城都市公社が運行を予告した「華城の船遊び祭り」テーマバスを見たとき、最初に頭をよぎったのは単純な疑問だった。
「走行中のバスがフォトスポットなのか」
公開された写真のバス内は海洋生物の風船で埋め尽くされていた。天井のつり手や手すりの周囲には風船がぶら下がり、外側の窓のかなりの部分は祭りの宣伝ラッピングで覆われている。
意図は理解できる。祭りを広く知らせ、市民に特別な体験を提供したかったのだろう。しかし問題は、その空間がイベント会場ではなく市民を輸送する公共バスである点だ。
バスのつり手や手すりは飾り物ではない。急ブレーキの瞬間に乗客の体を支える安全装置だ。窓も単に外の景色を見るためのものではなく、事故や火災が起きたときに避難経路を判断する命の通路だ。そうした場所を風船やラッピングで埋め尽くす光景は、多くの市民に不安を与えるのに十分だった。
特に華城は、安全問題に誰より敏感であるべき都市だ。過去の華城連続殺人事件は長く街の名に暗い影を落とした。その後、華城は産業や交通、居住環境の改善に巨額の費用と時間を投じ、安全な都市イメージの回復に努めてきた。
しかしその過程も順調だったわけではない。1999年に発生したシーランド青少年研修院の火災は、多くの幼い命を奪い、韓国社会に深い衝撃を与えた。安全意識の欠如がどれほど恐ろしい結果を招くかを示す代表的な悲劇だった。
そして最近では2024年、華城市西新面のアリセルのリチウム電池工場火災で、多数の労働者が急速に広がる炎と有毒ガスの中で犠牲になった。華城はこうした幾度もの悲劇を通じて、「安全」という言葉の重みを誰よりも深く刻んできた。
今回の祭りは、華城特例市の出発後に象徴性を強めた大型イベントとして推進され、各所で過去最大規模や差別化された演出が強調されてきた。
しかし祭りの規模や華やかさが大きくなるほど、行政は基本に立ち返る必要がある。市民の命に直結する公共交通手段においてまで演出やイベント性が安全原則に優先して見えるなら、市民の不安は増すばかりだ。
実際、2016年の蔚山観光バス火災では出入口が塞がれたため乗客が窓を割って脱出するしかなく、当日10人が帰らぬ人となった。その後、バスの窓や非常脱出口の機能は単なるデザインや広告の領域ではなく「命の通路」として社会的に強く認識されるようになった。
論争が広がると、華城都市公社交通企画部はニュースフリゾンの報道直後に「市民の安全をもっと考慮して慎重であるべきだった」との立場を示し、車内の風船装飾をすべて撤去し、外側の不透明なラッピングも除去したと説明した。
行政が問題提起を速やかに受け入れ、改善に動いた点は評価できる。ただし今回の事例は、公共機関ほど演出より安全原則が先に検討されるべきだという教訓を改めて示した。
だからこそ今、華城に必要なのは「最も華やかな祭り」ではなく「最も安全な祭り」かもしれない。祭りは25日で終わるが、来年も再開される予定だ。
しかし安全の原則は、都市の品格として長く残るだろう。













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