[ヘラルド経済=コ・スンヒ記者] 10本の指が時間を越え、異なる二つの世界を行き来した。死を予感しながらも目をくらませるほど壮大なソナタを遺したシューベルトと、現実の重力を離れて恍惚を夢見たスクリャービン――その狭間で、ピアニストは崩れゆく自我を掬い上げた。内面の極奥へ、恐れず進んで飛び込んだ。K-POPの歌詞を借りれば、こう言えるだろう。
「もっと深く沈んで、死んでもいいから。」(ウズ「ドローニング」)
22歳のピアニストが没入したのは音楽そのものだった。理性の糸をしっかり掴み、貧弱な幻想に陥らないよう踏ん張りつつも、それを手放す覚悟を既に決めたかのように身を委ねていた。
今回は「思索」の時間だった。イム・ユンチャンはシューベルトとスクリャービンを取り出し、胸の内で渦巻いていた音楽と芸術家としての思索を表にした。リサイタルは今年3月、香港を皮切りに日本の4都市(東京・大阪・名古屋・川崎)を巡り、6日からはロッテコンサートホールで続く予定だ。
実際、プログラムは公演直前に変更された。イム・ユンチャン自身が組んだものだ。彼は「長い沈黙と躊躇の時間を経て、ようやく内面の深みで真に生きる音楽に到達した」と語り、「これまで自分を縛っていた強迫観念や慣性、身に染みついた習慣をすべて脱ぎ捨て、長年愛してきたが決して無視したくなかったシューベルトとスクリャービンの作品でプログラムを組み直した」と述べた。自己の内面に正直に向き合ったピアニストの熟考がそこにあった。
イム・ユンチャンはどの楽曲もただ「演奏する」だけのピアニストではない。毎公演、自身の言葉で音楽を書き換えるように表現する。今回のリサイタルは、シューベルトとスクリャービンという二つの世界を横断する旅だった。
シューベルトのピアノソナタ第17番「ガシュタイナー」とスクリャービンのソナタ第2・3・4番は、時代も様式も異なる作品だ。古典とロマンの境に立つシューベルトと、後期ロマンから現代的神秘主義へ移行していったスクリャービンを並べたことで、イムの手は人間の深淵へと向かった。
異なるプログラムでありながら、二人の作曲家の音楽は一つの大きな流れとして編まれていた。シューベルトのソナタ第1楽章は華やかさが過ぎるほどで、速度も速かった。ピアノに向かうや凝縮されたエネルギーを噴出させ、イムは2分の2拍子の推進力を失わなかった。リズミカルな跳躍と、その合間を柔軟に行き来するルバートは彼の得意技だ。小さな背中越しに左右の手が点々と描き、跳ねるたびに音楽は生気を帯びた。
第2楽章に入ると空気が変わる。イ長調の神聖な流れが高揚した心を静める癒しの呪文となり、魂の地図を撫でる旋律が紡がれては途切れ、押し引きする手の動きによって音楽は視覚的なイメージへと転換された。鮮明ではない記憶の断片が鐘のように浮かび上がる。交響曲のように鳴らされた1楽章とは異なり、2楽章では歌曲を歌うようにメロディをつぶやいた。繊細で優しい慰めが去る間もなく、音楽はスケルツォへと駆け抜ける。ヘミオラのリズムが活き活きと弾み、シューベルトのリズムへの執着は3楽章でも変わらなかった。イムは一瞬たりとも退かず、すべての音符を掴み取った。
よろめくように繰り返される三連音は、イムの指先で生きた身振りになった。第4楽章に差し掛かったとき、澄んだ透明な音の間を精緻な感覚が鍵盤上で動き、活力に潜む「崩壊の悲哀」を指先で掴み取って物語を完結させた。
この曲は古典的ソナタ形式の外皮に、叙事の自由を孕んだ狂気のエネルギーを抱えている。イムの音楽は美しいが、不吉な憂鬱を宿していた。中毒的に反復する音符を際立たせ、シューベルトの形式美を執着や強迫、時に幻覚として聴かせた。
彼のスクリャービンは「曖昧さ」を脱ぎ捨て、輪郭を明確に示した。ソナタ第2・3・4番を連続して弾くと、それらは一つの壮大な叙事詩へと移行するように響いた。
イムがスクリャービンの曖昧さを扱う手法は特に興味深い。スクリャービンの和声は滑り、調性の中心は揺らぎ、旋律と背景の境界が曖昧になる。霧に包まれた夢幻的風景が浮かぶ一方で、イムは構造を堅持し、革命家のように闘う。色彩のための音楽ではなく、巨大な叙事へ向かう音楽として提示した。
各ソナタは独立して存在してはいなかった。第2番で始まった海のうねりは第3番で人間の内面へ沈潜し、第4番ではついに物質の境界を超えて光と恍惚へと舞い上がった。音楽は途切れず、一つの長い呼吸で続いた。
ソナタ第2番は、スクリャービンにおけるショパン的ノクターンの叙情性と海のイメージが結びついた「印象主義的ロマン主義」の頂点だ。海と月光、夜の空気や波の動きといった自然の像が生きている。イムは音符をただ美しく散らすことに満足せず、右手の高音は光の粒子のように砕け、左手の三連音は深海の潮流のように揺らいだ。音は透明だが、どこかへ押し寄せる確かな力が潜んでいた。
そして第3番に入ると、音楽は別の表情を見せる。スクリャービンはこの曲に「深淵の闘争」と名付けた。絶えず揺れる和音が不安定な自我の内面を示し、あちこちに打ちのめされ、滑り、中心を掴もうとしても揺らぐ。イムはその瞬間を滑らかに処理せず、調性の亀裂や不安定な動きを露わにした。
イムは完璧に縫合された音楽よりも、亀裂と揺れの中で生きる音楽を選んだ。内面を襲った波はやがて欲望と狂気、自己崩壊の深淵へと広がった。極端なダイナミクス、容赦なく突き進む速度、破壊直前まで注がれるエネルギーという危険を避けなかった。それは「自分の音楽に安全な解釈はない」という宣言であり、たとえ崩れるとも自らの音楽言語を現実へ引き出すという意志表明でもあった。だが、実際には彼は崩れなかった。
スクリャービンの第4番は星の光と飛翔の音楽だ。鍵盤を叩くのではなく、撫でるように音を生み出した。ピアノは空中から音を引き出すかのように響き、次第に速まり明るくなる音形が一斉に光の中心へと吸い込まれていった。
この日のリサイタルは変容の叙事だった。シューベルトが投げかけた人間の不安と生命力はスクリャービンを経て内面の深淵と恍惚へ向かい、イム・ユンチャンが紡いだ確信の言葉は危険で大胆だった。彼の演奏は技巧を超えて構造へ、構造を超えて思索へ、思索を超えて再び人間あるいは自身の音楽的境界を解体する世界へ向かっていた。
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また、アームウォーマーのディテールのおかげで、まるでゲームの中のダークヒロインを思わせる印象を与え、ジゼルは時折壁に寄りかかりながらカメラを見つめたり、腕を上げて大胆な角度のシルエットを演出した。
このような破格なスタイリングはエスパ特有のガールクラッシュイメージを一層際立たせた。
一方、エスパは11月29日、香港・啓徳スタジアムで開催された『2025 MAMA AWARDS』チャプター2でベストコレオグラフィー、ベストダンスパフォーマンス女性グループ、ベストフィメールグループなど3冠に輝き、グローバルな舞台で存在感を再確認した。













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