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▲ 出所| 日本 「Aera」
▲ 日本フィギュアスケート女子シングル国家代表出身の本田真凜がアイスダンスに種目を変えて現役復帰を宣言した。
【スポーツビズ=パク・デヒョン記者】「ジュニア女王」本田真凜(24)がアイスダンスに転向し、現役復帰を表明した。
彼女は彼氏であり、冬季オリンピックで3つのメダルを獲得した男子シングル元国家代表の宇野昌磨(28)とペアを組み、再び氷上に立つことになった。
日本フィギュア界のスターカップルが氷上復帰を宣言し話題になっている。2年前の引退時に本田が語った率直な告白インタビューも改めて注目を集めている。
本田と宇野は22日、東京で開いた記者会見で、アイスダンスに挑戦することを発表した。
二人は「目標は2030年オリンピック出場」と口を揃え、キャリア再建への強い意欲を示した。
日本誌『Aera』は25日、今回の復帰発表を受け、2024年に現役引退を表明した本田の当時のインタビューが再び話題になっていると報じた。彼女は約21年にわたる選手生活を振り返り、家族やファン、自分を支えてくれた人々への深い感謝を述べていたと伝えている。
▲ 本田真凜(右)は彼氏であり、冬季オリンピックで3つのメダルを獲得した男子シングル元国家代表の宇野昌磨とペアを組んで再び氷の上に立つ。日本フィギュア界の最高スターカップルが氷上復帰を宣言し話題を呼ぶ中、2年前の引退時の本田の心のこもった告白インタビューも再び注目を集めている。ⓒ聯合ニュース / AFP
本田は2024年1月、東京での引退会見で「フィギュアは私の人生で最も特別な存在だった」と語った。
2歳で実兄の本田大智に連れられてスケートを始めた。
その後、妹の美優、サラまで加わり、4人きょうだいで氷上を共にした。
本田は「ある京都の大会で兄妹4人がそろって優勝した瞬間が一番幸せな思い出だ」と振り返り、「スケートは家族にとって特別な意味があった」と語った。
幼少期は水泳や体操、テニス、ピアノなど多くの習い事を並行していた。
しかし、両親の支えのもとで続けられた競技はフィギュアだけだった。
本田は「両親が遠くまで連れて行ってくれたから、必ず何かを残さなければと感じた」と述べ、「次第にスケートが特別な存在になった」と回想した。
才能は早くから開花した。
10歳で初の国際大会に優勝し、日本ノービス選手権でも歴代最高得点で頂点に立った。
その後、ジュニアグランプリファイナルのメダルや世界ジュニア選手権の優勝を果たし、急速に日本女子フィギュアの次世代の看板選手として頭角を現した。
▲ 才能は早くから輝いていた。本田真凜は10歳の時、初の国際大会で優勝を果たし、日本ノービス選手権でも歴代最高得点で頂点に立った。その後、ジュニアグランプリファイナルメダルと世界ジュニア選手権優勝が達成され、急速に日本女子フィギュアの次世代の看板選手として位置付けられた。
しかし、幼い頃に得た世界タイトルは同時に大きな重圧にもなった。
本田は「世界ジュニア選手権で優勝してから本当に多くの注目を浴びた。カメラが常に追いかけ、幸せな瞬間も多かったが、幼さゆえに辛く感じたことも多かった」と打ち明けた。
平昌冬季オリンピックのシーズンだった2017-18年は、さらに大きなプレッシャーと戦わなければならなかった。
当時16歳だった本田はオリンピックのメダル候補として名前が挙がっていた。
心理的な不安が極限に達した。
その頃、本田を支えたのがショートプログラム「The Giving」だった。
「初めて聴いた時、運命の曲だと感じた。家族への思いを込めて作ったプログラムで、今でも辛い時は一人で練習する特別な曲だ」と語った。
美しいピアノの旋律と本田ならではの優雅なスケーティングが融合した「The Giving」はファンからも大きな支持を受けた。
本田は引退会見でも、このプログラムを最も印象に残る演目に挙げた。
引退時期を大学4年生に定めたのは、兄・大智の影響が大きかった。
本田は「兄が最後のシーズンを本当に幸せそうに終えるのを見て、私もああやって終わりたいと思った」と明かした。
実際に「大学4年生まで全日本選手権の舞台に立ち続ける」という目標を掲げ、それを達成した。
最後の全日本選手権出場時、本田は右の骨盤に痛みを抱えていた。
望んだ得点は得られなかったが、誰よりも真摯な演技を披露した。
彼女は「大会が終わって数日後に、体が万全だったらもっといい演技で終えられただろうかと考えたこともあった。しかし、心を込めて演じたので悔いはない」と語った。
続けて「家族や友人、コーチ陣が『点数以上に感動的な演技だった』と言ってくれて本当に嬉しかった」と付け加えた。
▲ 本田真凜にとって何よりも大きな力となった存在は日本フィギュアの伝説、浅田真央(写真)であった。本田は「辛い時には浅田先輩が必ず先に連絡をくれた」と語り、「全日本選手権が終わった後には『子供の頃から最後まで逃げずにここまでやり遂げたのは本当に素晴らしいことだ』と言ってくださった」と伝えている。その一言は長い選手生活を耐えてきた本田にとって大きな慰めとなった。
何より大きな力になったのは浅田真央の存在だった。
本田は「辛い時は浅田先輩が必ず先に連絡をくれた」と語り、「全日本選手権後に『幼い頃から最後まで逃げずにここまで来たのは本当に立派だ』と言ってくれた」と明かした。
その言葉は長年の競技生活を支えてきた本田にとって大きな慰めになった。
引退後の進路に関する質問には「舞台が変わってもスケートは続けたい」と答えた。
この時点でアイスダンス転向の兆しが見え始めていた。
本田は「スケートを滑れる限り、そしてファンが望む限り、ずっと氷上に立ち続けたい」と述べ、「結局、自分はスケートをしている時が最も輝いていると感じる。スケートを本当に愛した状態で選手生活を終えられたことが幸せだった」と笑った。
自分の願い通り、本田は28か月ぶりに再び氷上に戻った。最大目標の2030アルプス冬季オリンピックの舞台に恋人とともに立てるか注目が集まる。
▲ 出所| 日本 「Aera」













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