
5月は家庭の月だ。子どもの日、父母の日、教師の日、成人の日、夫婦の日などがすべて5月に集中しているからだ。
実際、すべての家庭が円満というわけではない。だから、5月が嫌な感情として迫ってくる人がどこかに、あるいはかなりの数いるだろう。家庭の行事が増えることで、費用面や精神面でストレスを感じる人もいるはずだ。
皮肉な現実はあるが、それでもこの世に生まれたことへの感謝が湧く月でもある。感謝から生まれる幸福がそばにいるようにも思える。「糞の中で転がってもこの世がましだ」という諺があるが、そういう意味で世界の美しい光を見せてくれた両親に深く感謝する気持ちを込め、5月によく演奏される作品のひとつを取り上げる。
チェコを代表する作曲家、アントニン・ドヴォルザークの『ジプシーの歌 Op.55』の中の第4曲「母が教えてくれた歌」である。
ドヴォルザーク:『ジプシーの歌、Op.55』、4番「母が教えてくれた歌」
1873年11月にアンナ・チェルマコヴァと結婚したドヴォルザークは9人の子をもうけ、1904年にこの世を去るまで一人の女性と暮らし家庭を守った。しかし家庭生活は常に平坦ではなかった。特に新婚時代の1875年から1877年にかけて深刻な悲劇に見舞われ、病気で子を3人失った。その後、ドヴォルザーク一家は長く深い喪失感と悲しみの中で過ごしたが、夫婦は互いに大きな支えとなり安らぎの場となった。
ドヴォルザークの『ジプシーの歌』は、子を失った悲しみがまだ癒えていないであろう1880年に作曲されたと考えられている。全7曲からなる作品で、その中でもよく演奏されるのが第4曲「母が教えてくれた歌」だ。
歌詞にはボヘミアの詩人アドルフ・ヘイデュクの同名詩が用いられており、内容は以下の通りである。
母が教えてくれた歌、過ぎ去った幼少期に
彼女の目元には涙が乾く日がなかった。
今、私も子供たちにその歌を教えていて
その時、よく私の頬に記憶の中の宝物のような涙が流れたものだ。
おそらく詩にある記憶は、母の献身と幼い頃の無邪気さが絡み合い、淡い郷愁として刻まれているのだろう。愛と記憶は世代を越えて歌として伝わり、すべての母の苦労がその歌に滲んでいるようにも思える。
この曲は本来ドヴォルザークの母国語であるチェコ語で書かれたが、舞台では英語やドイツ語で歌われることが多い。今回はチェコ語で歌われた音源を探してリンクした。実は私もチェコ語のこの歌を聴くのは初めてで、チェコ出身のメゾソプラノ、マグダレナ・コジェナの声である。
ドヴォルザーク:『ジプシーの歌、Op.55』、4番「母が教えてくれた歌」
一方、この曲はバイオリンやチェロといった弦楽器でも頻繁に演奏され、その背景には米国の作曲家フリッツ・クライスラーがいる。クライスラーの編曲版が広く演奏されているので、比較して聴くと面白い。
私自身は声楽曲より歌詞のない弦楽器の響きの方が好みなので、ヴァイオリニスト、イツァーク・パールマンの演奏をリンクする。どのバージョンがより好みに合うだろうか。
誰も争わず、誰も孤独でない平穏な家庭の月を願いつつ、「母が教えてくれた歌」の話を締めくくる。
文・ユ・シネ – クラシック音楽作家
著書:『ロマンス イン クラシック』、『ベートーヴェンを除いてクラシック』
ピアノ専攻後、クラシック専門記者やKBSのクラシック番組で音楽コーディネーターとして活動。現在は講演とブックトークを中心に活動中である。















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