

ブリティッシュ・ロックの歴史は常に「動き」の歴史だ。1960年代のサイケデリック、1970年代のプログレッシブとパンク、1980年代のポストパンクとマンチェスター・シーン、そして1990年代のブリットポップまで。イギリスのロックは時代ごとに新たな潮流と態度を生み、大衆はつねに次の局面を待っていた。その巨きな流れの中で、なぜか孤独に別の方向を見続けた人物がいる。スピリチュアルライズドのジェイソン・ピアスだ。
スピリチュアルライズドの「メインライン・ソング」を聴くと、不思議な感覚に捕らわれる。新鮮というより古びた響きが最初に立ち上るのに、同時に過去にとどまってはいない。まるで何十年も同じ夜の街を彷徨ってきた人物が、今になってその風景を少し違う目で見返しているかのような音楽だ。

この曲は2022年発表のアルバム『Everything Was Beautiful(エブリシング・ワズ・ビューティフル)』に収録されている。バンドのデビューから既に30年以上が経過した時点だ。自己複製に陥るか、時代に合わせようとして本来のアイデンティティを見失いがちな節目の時期にもかかわらず、「メインライン・ソング」には色褪せの兆候がほとんどない。若き日のスピリチュアルライズドと確かにつながりながらも、同時にまったく別の感情を宿している点がむしろ驚異だ。その差異を理解するためには、まずジェイソン・ピアスという人物を見つめる必要がある。
スピリチュアルライズドの出発点にはスペースメン3(Spacemen 3)がある。1980年代後半に英国インディーで現れた彼らは、ロックの伝統的文法をほとんど解体するかのようだった。少ないコード進行、果てしなく反復するリフ、ドローンとノイズ、極端なミニマリズム。当時、英国音楽界がますます華美さと即時的な快感へ向かうなかで、スペースメン3は同じ地点を巡りながら聴衆の意識を揺さぶろうとした。彼らは聴衆に「聴かせる」のではなく「沈潜させる」ことを望んだ。そしてスピリチュアルライズドは、ピアスのそうした実験性が人間的な感情と結びついたときに生まれた成果物と言える。
ジェイソン・ピアスの人生は常に脆弱さと隣り合わせだった。薬物依存、肉体の衰弱、繰り返す鬱、関係の破綻。特にバンド仲間であり恋人でもあったケイト・ラドリーとの破局は避けて通れない。ケイトは事実婚関係にあったピアスに内緒で別の男性と会っており(後にその男性と結婚した)、その相手がザ・ヴァーブのリチャード・アシュクロフトだった。この出来事はピアスに深い傷を残した。しかし重要なのは、彼がその痛みを単なる復讐や自己憐憫に消費しなかった点だ。むしろほとんど宗教的と言える次元の音楽として昇華させた。
その結実が1997年の『Ladies and Gentlemen We Are Floating in Space』である。
このアルバムはブリットポップ時代の代表作というより、むしろそのムードから一定の距離を置いた作品だ。当時の英国シーンはオアシスやブラー、パルプを中心に「クール・ブリタニア」の熱狂に包まれていた。ストリート文化や労働者階級の自意識、スター性、キャッチーなメロディが時代を支配していたが、ピアスはその熱狂から一歩退いていた。彼は街の現実ではなく宇宙や病室、愛と薬、救済と崩壊を歌った。
だから『Ladies and Gentlemen…』は今聴いても時代色が薄い。代わりに人間存在の底辺に触れている。巨大なストリングスとゴスペル・コーラス、ドローンとノイズが絡み合うサウンドは陶酔的だが、その中心には痛々しいほど脆い人間がいる。「All I want in life’s a little bit of love to take the pain away.」――人生で求めるのは、痛みを少し和らげるためのわずかな愛だけだ、という一節はスピリチュアルライズドという世界を圧縮する。
重要なのは、この時期のピアスが「今まさに崩れようとしている人」の声で歌っているように聞こえる点だ。彼の音楽には自己破壊直前の陶酔と絶望が共存する。美しくも危険で、崇高でありながら崩壊の縁にある。まるで果てしなく落ち続けながらもときどき光が差すような感覚が音に含まれている。しかし「メインライン・ソング」に至ると、その調子が変わる。
2022年のジェイソン・ピアスは、もはや若い頃の放浪に留まっていない。彼は実際に死に近づいた人物だ。肺炎の合併症で集中治療室に運ばれ、人工呼吸器に依存し、長い時間をかけて肉体が崩れていった。それでも生き延び、「メインライン・ソング」を作った。だからこの曲は崩れかけている者の音楽ではなく、崩れたあともなんとか生に残っている者の音楽として響く。
「Hush, keep your voices down.」――曲は囁くように始まる。皆が眠る都市、静かな夜、誰かを呼ぶ声。「今夜、街へ行かない?」という歌詞は驚くほど簡潔だ。しかしその反復が次第に奇妙な余韻を作り出す。それは単なる外出の誘いではない。現在の生活状態から一瞬でも抜け出したいという欲求に聞こえ、途切れた関係をつなぎ直そうとする身振りに聞こえ、消えないかすかな希望に聞こえる。
特に「There’s a change in the air around here」という一節は曲全体を貫く。「空気が変わった」という言葉だ。それは関係性の変化かもしれないし、人生の方向転換の瞬間かもしれないし、長い苦痛の果てに訪れた小さな回復の兆しかもしれない。この曲はその意味を明言しない。まさにその余白こそがスピリチュアルライズドを特別にしている。
ピアスは感情を直接的に規定しない。代わりに反復と空間、ノイズと残響で感情を構築する。だから彼の音楽は「理解する」ものというより「留まる」ものに近い。聴衆はいつの間にか自分の記憶と感情をその中に注ぎ込む。若いころに聴けば自由とロマンの歌に聞こえた曲が、時を経ると喪失と諦めの歌へと変わることもある。
何より「メインライン・ソング」が特筆すべきは、後期作でありながら若さの感覚を失っていない点だ。それは単なる反復ではない。以前のスピリチュアルライズドが「陶酔の中の崩壊」を歌ったとすれば、「メインライン・ソング」は「崩壊のあとにも残る生活」を歌っている。だからこの曲には絶望の代わりに奇妙な平穏がある。もちろん依然として寂しく、夢幻的だ。しかし若き日のように自らを破壊の淵まで追い込む衝動は薄れている。むしろ長年を経てようやく手にした諦念と優しさが残っている。
おそらくそれが、スピリチュアルライズドがブリティッシュ・ロック史の中でも際立っている理由だろう。
多くのバンドは若さのエネルギーで傑出する。しかしスピリチュアルライズドは年を重ねるごとに深みを増した。彼らの音楽はもはや単なるサイケデリック・ロックでもシュゲイザーでもブリットポップの変奏でもない。それは傷ついた人間が、最後まで美しさを手放さないための身振りに近い。
だから「メインライン・ソング」を聴くとふと考える。人間は終わりなく崩れ、消えていく存在だが、それでも誰かに「今夜、街へ行かない?」と声をかけられる存在でもあるのだと。もしかするとスピリチュアルライズドの音楽は、その最後の微かな光をつかむために存在しているのかもしれない。これが本連載『この一曲』の一回目を「メインライン・ソング」で開く理由だ。
「メインライン・ソング」には、良い音楽が長く生き残るべき理由が凝縮されている。説明より余韻を残す態度、絶望の中でも完全に光を手放さない感情、時間を経て初めて生まれる諦念と平穏。そして何より、若さの瞬発的な爆発ではなく、人生の長い時間を経た後でも人を動かす深さがある。
ある音楽は時代を代表する。しかしまた別の音楽は時代を超え、人間の感情そのものに触れる。「メインライン・ソング」は後者に近い。2022年発表の曲でありながら、昔から存在していたかのように響き、これからも長く残るだろうと感じさせる。スピリチュアルライズドが流行やジャンルを超えて響く理由でもある。
特にこの曲は、ジェイソン・ピアスが数十年にわたって問い続けてきた問いの延長線上にある。愛はなぜ人を救いながら同時に壊すのか。人生はなぜこれほど容易く崩れるのに、最後まで完全には消えないのか。人はなぜ再び他者に手を差し伸べようとするのか。若き日のスピリチュアルライズドがその問いを自己破壊的な陶酔のうちに投げかけたなら、「メインライン・ソング」はすべての崩壊のあとにも残る微かな温もりで問いを続けている。
「メインライン・ソング」は単なるバンドの後期の傑作ではない。長い時間を経た者だけが作れる温もりを備え、崩れたあとの生活までも包摂する点で特別な位置を占める。聴いているとふと胸が熱くなる瞬間が訪れるのはそのためだ。良い音楽は一つの時代を消費するだけではない。時を経てもなお人の内に残る感情を再び揺り動かす。「メインライン・ソング」はまさにその歌だ。
ミュージックビデオに登場する列車は、むしろピアス自身の人生を思わせる。揺れ、きしみ、それでもどこかへ向かって進み続ける。すでに何度も崩れ、多くを失いながらも完全には止まれない者のように。その動きが異様なほどに人の心を揺さぶる。














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