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金信朝が青瓦台前まで迫った日、軍首脳が下した決断
1968年1月21日、金信朝ら北朝鮮第124部隊の31人は青瓦台から300メートル手前まで侵入することに成功した。
交戦の末、多くが射殺されるか逃亡扱いとなったが、首都の中心部が突破された事実は朴正煕政権と軍首脳に大きな衝撃を与えた。
事態を前に、判断は極めて単純になった。「彼らが我々の中枢を攻撃したのなら、我々も相手の中枢を攻撃しなければならない」──。
政治的な復讐心と軍の名誉回復欲求が結びつき、合法と違法の境界があいまいな北派工作構想が本格的に動き出した。

「我々も北派工作員を作ろう」—各軍に下された極秘命令
青瓦台、中央情報部、国防部のラインからは直ちに、各軍に対して「報復専任の特殊部隊」を編成せよという極秘指示が下された。
空軍は空中侵入と奇襲爆破を想定した実美島(실미도)部隊を検討し、陸軍は大規模な遊撃・ゲリラ部隊の構想を練り始めた。
海兵隊も上陸・浸透に特化した部隊を別個に編成し、「海上から北側の中枢を叩くことができる人材」を集め始めた。
表向きの名分は国家安全だったが、出発点は「何としても報復する」という政治的な怒りと恐怖が混じった急ごしらえのプロジェクトに近かった。
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海兵隊の極秘北派部隊は「カチ」と「マンチ」の名で存在した
空軍の実美島部隊は多くに知られているが、海兵隊にもそれに劣らない極秘の北派工作部隊が存在した。
江華島・マニ山周辺を主な訓練場とした「カチ部隊」と、強力な打撃を象徴する「マンチ部隊」がその名で語り継がれている。
カチは「どこへでも飛んで止まる鳥」のイメージどおり、密かな侵入・偵察・奇襲を担い、マンチは「一撃で壊す」強力な打撃を象徴した。
正規の編成表にも記載されないほど非公式かつ極秘裏に運用され、存在自体を知らない将校や兵士も多かった。
![現場から] 戻れなかった北派工作員7726人 | 中央日報](https://cdn-union.tenbizt.com/contents/crawler-dev/image/2026/05/CP-2025-0103/image-2735f4b2-1568-4728-b6c9-047dd1446ae5.jpeg)
「志願ではなく指名に近かった」—海兵の中の海兵だけが送られた場所
部隊の人員選抜は志願制というより、指名して連れて行く方式に近かった。
体力、射撃能力、水泳、浸透技術、山岳機動、そして何より精神力を基準に選別された海兵だけがこの部隊に連れて行かれた。
部内では「海兵の中でも最も狂った者だけが行く」とささやかれるほど訓練強度は通常の海兵隊と比べ物にならない。
選抜された瞬間から、そこに広がる世界は通常の軍生活とは完全に異なるものだった。

実美島に劣らない訓練強度、「発覚したら自決」を教えられた者も
カチ・マンチ部隊の訓練は、現代の基準で見ても異常に近いという証言が多い。
深夜の山岳行軍、泊まりなしでの侵入・帰還、実弾を用いた地形突破、生きた動物の屠殺や野戦炊事、海上泳ぎによる浸透まで、すべてが実戦レベルで行われた。
北派工作を前提とした教育では「発覚したら捕虜になるな、必ず自決せよ」という言葉まで公然と語られた。
体罰や事故、記録に残らない負傷・行方不明事例も少なくなく、その後の脱走者や亡命者の証言で事実が明らかになってきた。

実戦投入の有無は今も多くがベールに包まれている
公式文書に残る海兵の北派工作部隊の「正式作戦」記録はほとんど存在しない。
だが1960〜70年代に西海の島々や非武装地帯周辺で報告された各種の「正体不明の武装勢力との交戦」や「身元不明の侵入・脱出」事件の背後に、これら部隊の活動があったという推定は根強い。
西海の島を拠点に北側海岸線へ接近し、夜間に短時間上陸して施設偵察や爆破装置設置を行ったという証言も一部に存在する。
ただし性格上ほとんどが極秘作戦であり、関連資料は現在でも軍事機密に分類されているため確認は容易ではない。

南北対話の時代が到来すると、「報復特攻隊」は居場所を失った
1980年代以降、7・4南北共同声明や南北基本合意など政治・外交の流れが「相互非難や武力挑発の自制」を公式原則として掲げ始めた。
大統領が公の場で南北の和解や交流を語る時代において、相手指導部を攻撃する報復工作部隊の存在は外交上の火種になった。
結果としてカチ部隊やマンチ部隊を含む各種北派工作部隊は次々と解体されていった。
部隊員の多くは一般の海兵隊や特殊戦部隊へ再配置され、退役後も自分がどこにいたかを家族にすら正確に語れなかった者が少なくない。

その後を継いだ海兵特殊捜索旅団は、「怒りの部隊」から「戦略資産」へ
現在、海兵隊の最精鋭の浸透・偵察部隊は海兵特殊捜索旅団だ。
公式任務は上陸作戦支援、前方偵察、標的捕捉、特殊捜索などで、法と作戦統制の枠内で活動する正規の特殊部隊として位置づけられている。
かつての北派工作部隊のように一方向の復讐だけを目的にはしていないが、浸透・偵察・標的打撃能力という点では多くの伝統を受け継いでいる。
最大の違いは出発点だ。かつての北派部隊が怒りと政治的復讐から生まれたのに対し、現在の特殊捜索旅団は同盟・連合作戦や国際法の枠組みで運用される「国家の戦略資産」として位置づけられている。













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