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「退職した。1か月間何もしていない。でもとても不安だ」。YouTubeやSNSを彩る「退職ブイログ」に登場する告白は、こうした言葉で始まる。彼らに共通しているのは解放感ではなく、奇妙な罪悪感と虚無感、そして「自分は今何をしているのか」というアイデンティティの混乱だ。人気ドラマ『モジャムッサ』も、結局仕事が見つからず不安に苛まれる映画監督の姿を描いているのではないか。
この問題の対極にあるのは、余暇の問題だ。産業化の時代において労働生産性が幸福の条件と見なされていたなら、現代社会では幸福の重心が仕事から余暇の質へと移っている。
多くの人が余暇を「仕事のための休息」と誤解している。しかし余暇は労働の付属物ではない。余暇を意味する「スコーレ(Schole)」がschoolの語源であるように、余暇は学び、内省、創造的活動を指す。最近のMZ世代に広がる「갓생」や「무지출」という概念も、余暇に対する誤った認識の表れだ。早朝の起床、運動、自己啓発、読書で一日を埋めながら一銭も使わないことを美徳とするトレンドは、自分を絶えず制御し最適化しなければならないという強迫の影を映した自画像である。
彼らは運動を体型管理のために、読書を自己啓発のために、趣味を副業化の可能性のために行う。余暇時間でさえ生産的に使わねばならないという圧力を内面化しているのだ。これは成果主義が人生全体を浸食した結果だ。
余暇は仕事のための準備段階ではない。幸福の尺度が仕事から余暇へ移ったのなら、自分なりの趣味を品位をもって楽しむ活動を通じて人生を味わうべきだ。テレビ視聴やスマートフォンのスクロールといった受動的行為から離れ、楽器演奏、執筆、運動、ボランティアなど、自己を投影する時間の創造者になるべきだ。オランダの哲学者ルトガー・ブレグマン(1988〜)も、21世紀の最大の問題は余暇生活だと主張している。自己の人生の意味を自ら構成する能力、すなわち「余暇リテラシー(leisure literacy)」を高めるために、いくつかの実行案が提案されている。
第一に、公教育と生涯教育のカリキュラムに余暇設計の科目を組み込むことだ。スカンジナビア諸国が青少年を対象に「人生設計(livsmestring)」教育を学校の正規科目として実施している点は参考になる。第二に、地域の公共インフラも余暇のエコシステムを積極的に構築すべきだ。図書館、福祉館、文化センターを「交流と創作の拠点」に転換し、住民同士がつながれるプログラムを運営することが必要だ。ヨンチョンのベーシックインカム実験でも示されたように、現金支援と同様に「共に過ごす場」が生活の質に影響を与えた点を忘れてはならない。第三に、ベーシックインカムと連動した「社会貢献バウチャー」制度の導入も検討すべきだ。受給者が地域活動、介護、文化創作、環境改善などに参加すれば追加インセンティブを付与する方式は、余暇を個人の問題から共同体的実践へと高める契機になる。
特に高齢層の余暇は、他者との関係の中で意味を持って生まれる。갓생や무지출は強迫の産物だが、同時にこの世代が自分の人生に真剣に向き合おうとしていることを示す証でもある。最近議論の対象になっているベーシックインカムの問題とともに、人生を楽しむ方法を教え、分かち合う社会的想像力が今こそ求められている。
キム・シレ(ブシ企画副社長、成均館大学兼任教授)













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