
「10年前は文字どおりに書かれた人物をただ見ていた気がする。シーズンを重ねるうちに、どう新しい表現ができるかを考え、モチーフになった人物(キム・ユジョン)や当時の歴史をより深く調べて向き合うようになった。その積み重ねで役が新しくなっていくようだ。」
イ・ギュヒョンは、ミュージカル『ファンレター』(6月7日まで弘益大学大学路アートセンター大劇場)の2016年初演から10年間、毎シーズン欠かさず天才小説家キム・ヘジン(イ・ギュヒョン・キム・ギョンス・キム・ジェボム・カン・ピルソク、以下シーズン参加・五十音順)を演じ続けていることについて、そう語った。
キム・ヘジンは、日本統治時代の実在作家キム・ユジョン(『ソナクピ』『椿の花』『春春』などの作者)をドラマ化した人物で、時代の困難や病に囲まれながらも新しい小説を完成させようとする天才小説家だ。
小説家志望のチョン・セフン(ムン・ソンイル・ムン・テユ・ユン・ソホ・ホン・ギボム)と、そのもう一つの自我であるヒカル(ソ・ジョンファ・カン・ヘイン・イ・ボムソリ・ホ・ユンスル)をミューズとして、消えゆく時代と失われかけた人生の希望の中で創作の炎を燃やす人物である。

この作品を観た演出家のシン・ウォンホが、彼を『賢い監獄生活』のヘロンイにキャスティングしたほど、イにとって『ファンレター』は「特別な作品」だ。だが同時に「10年も続けば飽きてもおかしくないはずだが、それでも面白い作品」でもある。
「毎シーズン、どの点に重点を置くかで変わってきた。ある季では、死に瀕してでも世に残すべき作品を一つでも残そうと、書くことだけに没頭する作家だった。別の季では、愛に渇望しそれを掴もうとするストーカーじみた一面が出ることもあった。ある時期は、ただ人としてもっと長く生きたいという思いが強かったこともある。」
イは「少しずつ変化し、シーズンを重ねるうちにこの人物にはあらゆる面があると感じるようになった」と語り、「本やウェブ小説を読んでいて『ファンレター』のある場面にぴったりだと思うアイデアをメモしておき、上演の際に提案して実際に反映されることもある」と明かした。
「セフンがキム・ヘジンに自分の正体を明かす『告白』の場面では、さまざまな感情が湧いてくる。前の『鏡』の場で二人(セフンとヒカル)が争う中で眠っていることもあるが、今回のシーズンでは目を開けて見つめ、夢か現実か混乱することもある。その変化に応じて、次の『告白』での考えや表現も変わる。」

こうした変化を多彩に表現しつつも、イは「ヘジンが命を失いつつあり、自分の残り時間が少ないことを正確に自覚している点、だからこそ自分の名を輝かせる作品を一つ残したいという思い」は初演時から揺るがず守られていると語る。
初めて自分の文章を理解してくれる相手を、ヒカルという名前で書かれた手紙として出会い、恋慕を育んでいくヘジンは、最後の作品を共に執筆する過程で二人の正体を知りながらもその事実を隠して最期を迎える。
この点についてイは、「この関係が壊れるのが怖く、氷上を歩くように知らんふりしてきた経験に近い」とし、「この関係が壊れたときに失うものは、自分の命綱に関わる問題だからだ」と語った。
「作品を完成させていく過程が生きていると実感する瞬間だが、(セフンとヒカルの正体が)明らかになってこの関係が壊れると、文章を書くことすらできなくなるかもしれない。そうなればすぐに死んでしまうかもしれない。だから死ぬ直前に許す気持ちでセフンに手紙を書いたのだろう(『それが誰であれ、手紙の主を私は愛さないわけにはいかない』という内容)。また、天才的なセフンが共に書いていた作品を完成させてくれることを願い、そうした文人が生き延びて僕らをつなげてくれればいいという気持ちもあったはずだ。」

イ自身も俳優という表現者として、「恋慕する相手をミューズとして出会える点は羨ましい」としながらも、「当時の偉大な文人が人生のすべての場面で偉大だとは限らない」と率直に語った。
「例えば、愛する相手からカカオトークの返信が来ないときにそわそわするような小心な一面や、親しい友人と気軽におしゃべりする場面が共存するはずだ。偉大な作品を残して偉大に見えるだけで、ある部分ではみっともなく頼りない姿も混じっている。キム・ヘジンのモチーフとなったキム・ユジョンにも、(パク・ノクジュへの)ストーカーじみた性向や人間的な欠点がある。同じ芸術家として共感できる部分もあれば、できない部分もある。『自分ならどうしただろう』と当てはめて紐解いた部分もある。だから自分なりの色が出るだろうと思う。」
最近は、作品の背景となる時代や歴史、モチーフになったキム・ユジョンのエピソードなどをAIで調べるというイは、「少し前、中国のAIプログラムが命令文二行で作り出したアクションシーンがブロックバスター映画の一場面に匹敵するのを見て衝撃を受けた」と明かした。
「そんな時代に生きる自分が何をできるのか考えた。だがこうした変曲点はいつも起きてきた。テレビのない時代にテレビが普及し、映画がなかった時代に映画が登場した。インターネットが生まれ、P2Pサイトで映像を落として見ていた。だからライブという生の価値は希少性を帯び、プレミアムが付くという意見には賛成だ。それはロボットが真似できないものだ。AIが作る映像は無料で見られるかもしれないが、ロボットの演技のためにたとえ5万ウォン(約5000円)でも金を出して観に行く人は少ないだろう。そうしてライブ演劇の価値は高まるはずだ。」
ハ・ミソン記者 hurlkie@viva2080.com













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